肯定ファーストの闇

否定的・肯定的

肯定ファーストには、闇がある。

自分はそうは思っていないのに、自分の心に蓋をして、見て見ぬ振りをして、なかったことにして、自分の心を欺いて、相手の言うことや振る舞いを肯定することである。

これを「肯定ファーストの闇」と名付けよう。

自分の心に蓋をしたり、見て見ぬ振りをしたり、なかったことにしたり、自分の心を欺いたりして、でも上っ面のみで相手に対する肯定ファーストを貫くことは、結果として、

(1)自分の心とは異なる方向性のまま物事が完了して、中途半端な達成感や後悔の念、嫌な感じが残る、

もしくは、

(2)途中で自分の心を素直に出して方向修正を公開する時点で、周囲にとってはサプライズなちゃぶ台返しとなり、(i)レジリエンスのある集団であれば「ああぁ、、、そうなのね、わかった!」というような具合に自分が「ありたい姿」を実現できうる、(ii)そうでなければ「なんでそうなるの!?」という反発心と猜疑心を生み、傷を負いながらリカバリーをする(それでもありたい姿を実現できれば万々歳)か、最悪の場合はブレイク、

につながる。

この肯定ファーストの闇から脱するには、相当程度の内面的な覚悟が必要となる。

「自分の心に蓋をしない、見て見ぬ振りをしない、なかったことにしない、自分の心を欺いたりしない。そのうえでの、相手に対する肯定ファースト」

もし、相手に対しての単なる表層的な肯定ファーストであれば、時として、自分の心が犠牲になりうる。

逆に、「自分の心に蓋をしない、見て見ぬ振りをしない、なかったことにしない、自分の心を欺いたりしない」という芯を持っている人であればあるほど、相手に対する肯定ファーストを意識していないと、相手を傷つけまくる否定ファーストになりかねない。ないし肯定ファーストを同調圧力と感じることもあるだろう。これは当然の帰結かもしれない。

でも、だからこそ、

「自分の心に蓋をしない、見て見ぬ振りをしない、なかったことにしない、自分の心を欺いたりしない。そのうえでの、相手に対する肯定ファースト」

は、尊くって、スゴいんだ。

自分の心を大切にすることであると同時に、相手の考えや振る舞い、ひいては相手の存在をも肯定することになる。

つまり、自分と相手を同時に肯定するという「二重の肯定」が実現される。

これを、「二重の肯定ファースト」と呼ぼう。

世界中の人々が「二重の肯定ファースト」を身につけたら、世界はより平和になっていくんじゃないかなって、ぼくは確信してる。

相手にだけ指を向けた肯定ファーストでは、自己犠牲が生まれうる。

自分にだけ指を向けた肯定ファーストは、相手を傷つけうる。

相手と、自分と、同時に指を向けた、「二重の肯定ファースト」でいこう。必要なのは、覚悟だけだ。

始めよう、「二重の肯定ファースト」を。

いまここで、ぼくたちから。